事実を知ることから始まるのに大人は……

 関西の大学で「平和学」を教えている友人から珍しくメールがきた。今度の震災をめぐって、被災地からは遠い関西の地にいる自分たちに何ができるかを考えてみよう、と学生たちにボールを投げたのだそうだ。
 すると最初のうちは直接関係ないといった話、それも観念的な受け止め方ばかりが目立った。そこで友人は「本当にそうか」と石を投げた。すると、「ここで話しているだけでは、なかなか具体的なことが出てこない。キャンパスを回って聞いてみよう」となった。
 しばらくして教室に戻って来た彼らは「韓国からの留学生は、新学期になって戻ろうとしたら、放射能を心配する親に止められた。説得に苦労したと言っていた」「福島県会津若松市からきている学生がいた」「留学生たちが募金活動を計画していた」など次々と学内で発見した「具体的事実」を興奮した面持ちで発表した。そして自分たちにできることを始めたと友人は、嬉しそうな文面で伝えてきたのだった。
 「私が最も恐れるのは敵ではなく、無関心な人々だ。なぜなら、彼らの暗黙の了解があればこそ、この世に殺戮と戦争が絶えないからだ」というのは、戦前のソ連で粛清され、その後復権した小説家、ブルーノ・ヤセンスキーの作品『無関心な人々の共謀』に出てくる言葉である。私たちも「事実」への感度を鈍らせてはいけないと改めて思った。(福士)