金太郎飴には恨みはないが……データや情報を考える

 脱原発をわかりやすく書いた本を読んだ感想である。小生は30代の新聞記者時代に「原発を考える」連載企画をし、建設中の原子炉格納容器の中に入ったことがあるのだが、その取材中、「原発の大事故が起こる確率は何億年に1回」とか、「大事故で死者が出るのは隕石に当たって死ぬような確率」などと説明してくれた研究者たちがいた。ボクは「何億年先が見通せるほど科学は進歩しているのですか。それこそ、非科学的では」と反論したものだ。
 そして今、残念ながら、脱原発の本のデータの使い方がやはり科学的でないようで気になっている。「元ウラン鉱山の従業員1万人が肺がんを発症」(海外の話。全員が肺がんになったような記述で出典も不明)といった記述が余りにアバウトなのが納得いかず、インターネットで検索してみると、どれもこれも孫引き、曾孫引きというのか同じものばかりではないか。
 これはおかしいと思い、あれこれ英文の研究論文を探して読んでみると、やっぱりこんなアバウトな話ではなく、1946〜99年の間に就労した12万人ともいわれる人のうち7千人以上が肺がんで死んでいて、しかもその70%以上が鉱山での被ばくが原因という本以上の状況が書かれていた。しかも、このウラン鉱山は今はなく、関係資料も関係者の所在も十分掴めないようなのだ。
 翻訳がおかしいことは珍しくはないが、どちらからの情報であれ、データだけはしっかりさせないと、と思う。伝える者の重要な役割である。