不適切語について

懲りずに書いています。
今回は、ちと硬くなりそうですが、気になることがありましたので、上のテーマにしました。
ある社会的には高い見識を持っていると思われている集団の会議になぜか呼ばれた後の懇親会の席でのことです。50代の大企業幹部が話の中で、精神疾患の人への蔑称を社会の異端的な人たちに対する一方的な攻撃の言葉として使ったのです。
私(福士)はこんなのが嫌いも大嫌いでして、1回でやめてほしいなと思った、そのすぐ後に2回目をやってくれたのです。もういけません。彼の傍に行って、「その言葉は、あなた自身の人格を貶めることになりますし、何よりもその言葉がもたらす偏見と差別によって傷つけられた人がどれだけいたか、また今もいるということで、これからは使わないでください」と伝えました。はじめは「なんだ、この男」といった顔をしていましたけれど、道理はこちらにあるわけですから、紳士らしく「気を付けます」と言ってくれ私もホッとし、「ありがとうございます」と返しました。
この言葉では著名な学者と論争したこともあります。多くの読者のいるエッセイの中で、「〜に刃物」を連発していたのです。事実に基づいて考え、研究をしているはずの人なのに、最初のうちは私の示す歴史的な差別の事実にも、現在ある事実にも感情的に反発するだけでした。差別の問題の解決が困難なのは、生活歴とからまった、こうした感情レベルの問題が根強くあるからです。何回かのやりとりで、お互いを知るようになるなかで、彼の心もほぐれてきたのでしょう。問題を理解してくれ、そのエッセイの表現を撤回してくれました。私も、その言葉にこだわった彼の心の傷を知ることにもなり、こちらも多くのことを考えさせられた出来事でした。