友を偲び、心から平和を願う

 良き友が逝って4年になる。62歳だった。彼は生後半年ちょっとの赤ん坊のとき、ヒロシマ被爆した。2次被爆である。爆心から遠くない広島城にあった憲兵隊本部の責任者(中佐)だった彼の父はそこで死亡。家族は郊外に住んでいてそのときは無事だったが、4兄弟の末っ子だった彼は、夫の無事を願いながら兄3人に留守番をさせて入市したお母さんの背中にいたため母子共に大量の放射線を浴び、さらに内部被ばくしてしまった。
 大学で初めて知り合った彼はハンサムでスマートで、左腕から投じる球は切れ味鋭く格好よかった。そして何よりもみんなに優しかったし、「こんなやつがいるんだ」と感心するくらい出来る男だった。ただ、いつも顔色がすぐれないのが気になっていた。
 その彼の姿をしばらく見ないことがあった。お母さんがいろいろな病気の後亡くなり、彼も発病していたのである。それからの彼は顔や声には出さなかったけれど、本当に悩み苦しみながらの人生だったのではないかと思えてならない。いかに鋭い頭脳があっても、心臓も肺も自分の思い通り動いてはくれないのである。最後に膵臓がんが彼を襲ったのだが、ベッドの彼の口をついて出たのは「何から何まで中途半端になってしまった俺の人生って何だったのだろう」だった。僕は「そんなことあるもんか」と言うだけで精いっぱいだった。
 僕は彼との出会いや、新聞記者生活を始めたのが広島だったことなどあって、平和の実現や、その平和の最大の敵である戦争や暴力(文化的な暴力も含めて)を克服するための人権の確立といった課題に僕なりに取り組んできたのだけれど、4年前の彼との別れでいっそう平和への思いを強くしている。                      (福士)