井本元義くんの『第三詩集 回帰』

同期の井本元義くんが『第三詩集 回帰』を出した(福岡市・梓書院、2015年10月、1800円)。写真のように奇麗な表紙のカバー絵は彼の友人でデザイナー、建築オーガナイザーなどとして活躍した故塩川徹さん。本書「詩人たち」には、13回の医師、吉本哲郎さん(北九州市・熊手町クリニック院長)の、その塩川さんへの「鎮魂歌」もある。
「回帰」「散文詩」「詩人たち」「虜囚物語」で構成されていて、読みながら、詩的センスに欠ける当方には彼の世界のほんの一端が見えたような気がしているだけだが、「美しい色」と題する「あとがき」の一節「その色(少年のころ観たクールベの「追われる鹿」の背景の美しい色)を再び目にして僕は人生を初めて振り返る気になった。時には喜びもあったが、長い苦しい戦いの日々だった。怒りや屈辱を悲しみの涙で流したことも多かった。だが、ずっとこの色を心の奥底に探しながら、次の日の朝にこの色を求めて生きてきた気がした。」を読んで、もう少し彼のことがわかったように思えた。

諦め悪く、また書きます。

皆さん、お元気ですか。

あまりにも反応がないので、昨年7月から書くのをやめていましたが、また始めようと思います。
30日の日曜日朝、妻と2人、住んでいる鎌倉市大船地区の「反安保法案」のデモ行進に参加しました。デモは新聞記者時代にはしばしば取材はしたのですが、自分が参加したのは新聞社の労働組合のデモ以来30数年ぶりでしょうか。
200人くらい集まって50分ほど駅前や商店街を雨の中、プラカードを持ち、ビラを配り、声をあげながら行進しました。
参加者を見て、「やっぱりな」と痛感したのは大半が60代以上ということです。そんな中に「生後11カ月」の赤ちゃんを抱っこした若い夫婦がいたのには思わずホッとしました。
いま仕事で「シニア」の取材をしているのですけれど、皆さん、シニアの役割というか覚悟のほどが世の中を大きく影響するということを肝に銘じてください。
そんな時代に今あるのです。(福士)

お知らせ、届きましたか?

寿士会関東支部同窓会のご案内

 拝啓 皆様方におかれましては、恙なくお元気でお過ごしのことと存じあげます。 さて、恒例の寿士会関東支部同窓会を下記の通り開催することいたしました。
顧みれば我々は高校を卒業して以来はや50年以上(卒業が昭和37年)が過ぎました。会合は年に1回ではありますが、継続して開催され、懐かしい友とともに、近況、
高校時代の思い出等を語らいながら、楽しいひとときを過ごしております。皆様方には出来るだけたくさんの方にご参加して頂き、会がより楽しく、にぎやかになることを願っておりますので、是非ともご出席下さい。  敬具

1 日時  平成27年11月14日(土)12:00〜14:00

3 会費  男性7,000円  女性 6,000円
4 出欠の連絡  9月30日(水)までに次の様式でメール(または郵便)にて藤條までにお願いします。
なお、ご返事は郵便でも結構ですが、アドレスのある方はできるだけメールでお願いします。

117回目です!!

 機械の、パソコンのすごいところは、人間と違って「記録・記憶」が確かなことです。
 この掲示板を書き始めたのが、2009年11月9日、以来もうすぐ5年になり、今回が117回目の記事、なんてことは漠然としか覚えていませんでした。
 ただ、読者がいるのか、いないのか、コメントは「サクラ」も込みで7回ぽっきりというのは正確にインプットされています。
 まあ、そんなものかと思いつつ、今日からまた気持ちを新たに書こうと思っています。引き続きお付き合いください。

秋には寿士会の集まりです。今年はぜひ、おでかけください。

いろんな所にいる同窓生

 高1回、15回、20回が団地(マンション)でばったり出会って「団地同窓会」を結成したという話を聞いて何年になるだろう。もう10年以上になるから、またそろそろ出てくるかなと思っていたら、一昨年には、旧制中学卒の先輩から、福岡の子ども時代に近所で一緒だったり、友達の兄弟が同窓の後輩だったなどの、複雑バージョンの同窓生が同じ首都圏の戸建て団地に数組いたのが判明なんて話がありました。
 これはもう、14回もあるかもしれないなという気がしていたのです。すると、どうでしょう。ひょんなことで親しくなった41回生のMさんが、つい先日のこと「同じマンジョンに14回のA先輩がいることがわかりました」と言うではありませんか。ボクの記憶ではAさんは同窓会活動にはほとんど参加していないようですが、Mさんには「これを機会にぜひ参加して、と彼に伝えて」と頼んだ次第です。
これを読んでくれていたら、今秋の同期会や来春の懇親会には参加してください。

健康第一を思い知らされています。

 40余年ぶりで保険証を使いました。ちょうど1カ月くらい前です。左目が充血しはじめたのです。週末ですぐ治ると思っていたら、なんの。だんだん鬱陶しさが増してきて、月曜日の朝、たまらず通勤途中にある地元の眼科に飛び込んだのです。
 すると、どうでしょう。まず患者の多いことにびっくり。そして、待ち時間の長いこと。そして診察。先生は「結膜炎」というものの、その原因については、まだ判断できないようで、炎症と感染症を抑える目薬が処方され、とりあえず5日後に再度来るようにと予約を入れたのですが、これでは子どもの使いみたいなので、先生に「ウイルス性ですかね」と尋ねるとたぶん、と言う。つまり、ヘルペスです。
その予感はあったのです。(少ない)髪に触ると、頭皮の前側の左半分がピリピリする感じがしばらく前から続いていたのです。ウイルスで神経が興奮している信号なのです。すると案の定、その夜から左側の頭皮、おでこ、鼻に水泡が出てきたのです。全部みごとに左側です。三叉神経の下顎を除く目と上顎の2本の神経をやられたのです。はるか昔に罹った水ぼうそうのウイルスが死なずに潜んでいて、体力低下に付け込んで出てきたのです(同窓会の会長推薦委員会のことなどいろいろありまして)。
水泡が破れた痕は潰瘍になり、えぐれた状態で、触るとピリピリするのです。早速、今度は皮膚科です。予想通り、ヘルペス性皮膚炎の診断でした。

 そして今日まで、多い時は眼科からは3種類の目薬と目に入れる軟膏。皮膚科からは2種の軟膏とウイルス抑制剤など3種の飲み薬、そして眼帯に左顔面いっぱいの絆創膏という哀れな姿。しかも差したり、塗ったり、貼ったり、飲んだりという重労働が続きました。
 しっかり治療しないと緑内障になる危険もあるということで、眼科の治療は、さらに2週間は続きそうです。

 以来、お酒も飲めず、というより飲みたい気持ちが起こらないから不思議です。片目では本を読むのも大変だし疲れるし、などなど健康のありがたさを痛感しています。皆さん、くれぐれもお体を大切に。

カラスに教えられ……

 遅ればせながら今年の「書き初め」です。今回で114回目のブログとなるのですけれど、反応に乏しくコメントは7回だけ。それでも書いている次第です。
 さて今回は、学ぶ機会は、その気さえあればいつでも可能というタメになる話です。
 毎朝、通勤でJR大船駅まで歩くのですが、ある朝、駅前にあるフラワーポットの前に首からちょん切られた花がたくさん散らばっていたのです。以前も書いたことがあるように、通勤路にあるサクラの古木の洞に作ったニホンミツバチの巣を壊したり、道沿いの小川に平気で吸殻や紙くずを投げ込む連中を見て、注意もしてきたものですから、フラワーポット近くには飲み屋や飲食店も少なくないので、夜、酔っ払いが悪さをしたのかと悲しく、また腹立たしく思ったのでした。
 ただ念のためというか、証拠探しというか、傍に行って観察してみたのです。すると、ちぎったというよりも切りとられたような花なのです。それに、酔っ払いなら夜ですから時間もたっていて花弁がしぼんだり、夜来の寒さで凍ったようになると思えるのに、とても新しい状態なのです。
 そこで諦めの悪い小生、翌朝、いつもより早く家を出てみたのです。するとどうでしょう。犯人と遭遇したではありませんか。いたずら好きのカラスが2羽、セッセセッセと花を摘まんではポットの外に投げ飛ばして「遊んで」いたのです。
 思い込みや先入観からの決めつけが、人間関係や状況を悪くするどころか事態をエスカレートさせるケースは珍しくないし、冤罪なども生まれたりします。そんなことに思いを新たにしたカラスのいたずら、でした。(福士)